ロックファームで働く人たち Interview

村田 翔一

ロックファームが日本の農業を変えるつもりです

村田 翔一

何も無いところからのスタート

私は農家の四代目なんですが、私の父親は自分の代で廃業するつもりでした。父親は「農家は儲からないし3K(きつい、汚い、危険)」という考えをもっていて自分が農業をやりたいと言っても、止めておけの一点張りで。
創業の一代目は農業専業だったんですが、二代目からは兼業色が強くなり三代目はサラリーマンとの兼業で、もともと所有していた農地もかなり目減りしていました。
農家を継ぐ継がない以前に、そもそも農業をする資材がそろっていない。農械もないし、施設もない。そんな状況だったんです。

ロックファーム京都をつくる決断

私はもともと消防士だったんですが、その仕事の収入でトラクターを1台購入しました。それが今のロックファーム始まりです。生産物をお客さんにウケる見せ方を工夫したりして、相手が求めているかたちをつくる事で売り先をつくるっていうのが従来の農家さんが苦手な部分なんですが、多分普通の農家さんと比べて僕はそれが少し得意なんです。畑のことを語れる農家さんは沢山おられるんですけど、商売の話はしたくない、出来ないと言われる方が圧倒的に多い。そこに自分が勝てるフィールドがあるなと思ったので、ここで勝負したい、と思い消防士を辞めて「ロックファーム」をつくる決断にいたりました。

人を感動させたいという思いを屋号に

もともとの屋号は村岩農園だったんですが、それを引き継ぐ形でロック(岩)ファーム(村)という名称を付けました。
ロックという言葉には物事を震撼させる、感動させるという意味もあるらしいんですが、周りからも僕のイメージにロックと言う言葉がすごく合うと言われたので、笑。

思いを詰め込んだロックファームのロゴマーク

農業人生のターニングポイント

数年前に全国規模の農業従事者が集うある研修会に参加したことで、これまでと自分の視点が全く変わりました。次世代農業サミットといって、日本の農業の頂点に君臨するような重鎮だったり、そこを追い越すパワーのある30代、40代の次世代の猛者たちの集まりです。京都の中では5000万売上があればそこそこのポジションにいくし、始めたばかりでそのポジションにいけたことに、正直天狗になっていた部分もあったと思います。でもその場所ではトップの会社は売上100億を超えていますし、23歳の子が3年で売上3億くらいのねぎの法人を経営していたり。
一つ外の世界に踏み出してみると自分がすごい小者に感じました。でも一方もっといけるはずだというビジョンを持つことができたんです。そのサミットに参加されていた農家さんは、例えば大企業と一緒に事業を立ち上げたり、独自のやり方で農業を盛り上げておられて、すごく刺激を覚えました。そこで自分のしたいことはこれだと確信しました。逆に言うと、京都というブランド力のある地域にいながら、京都の農家はまだまだだな、と悔しい思いを感じました。これはもう他府県に負けてられないということで、こんな舐められているままでは僕自身も気に入らないし、そういうところで新しいエネルギーが湧いてきたんです。